心の平穏といふものとは

お久しぶりです。
蒼です。

今日は心の平穏を軸に色々書いてみたいと思います。

個人的な想いをここに綴ることにしているので、
本当に人によって合う合わないはあると思います。

なので、合わないと思ったら遠慮なくこのページを閉じてください。

人には好みというものは必ずあるので、
その好みを無視して見続けるのはきっと精神的によくないと思うのです。

だから、「無理をせず」を心にお持ちくださいね。

 

さて、心の平穏ということで私の普段から想う平穏について書いてみようと思います。

平穏と一言で言ってもみんなそれぞれですよね。

 

何かしら1日ひとつ、楽しいことがある平穏。

何事もなく、日々穏やかに過ごす平穏。

ハードな日々の中で、ふと訪れる平穏な時間。

 

様々なんです。

でも、私の想う平穏は心が穏やかなになれるような、
そういう柔らかな空気をまとった空間に自分の身を置くことを平穏と思っています。

私が生きてきた20代、30代の後半にいる現在。
正直言って何かを成しているとは思えないような人生です。

幼い頃から、将来や職業にレールを敷かれていた人生。
心はいつも悲鳴を上げていて、でもそれを無視して自分の体を動かしてました。

まだできる、まだやれる、笑えてる、笑えるならできる。
書いてる自分がやばいなぁと思うくらいには、いろいろ追い詰められ生きた20代でした。

当時、性格的な部分でビジネスの世界や特に、
競争という世界にはとても住むことができないと分かったときはとても悩みました。

でも、事を成すというのは、誰もができることではないと思えるようになってから、
それなら自分なりの平穏を成そうと思うようになりました。

すごい人を目標にするのはいいけれど、
どうやって頑張ってもその人になることはできない。

そう思えば、人から学んで自分が想う形を描いて形にしていった方が、
自分らしく生きられるのかなって、本当につい最近少しだけわかりました。

私は勢いがある人間ではないし、
人の優しい心に寄り添って生きたいのです。

それを人は偽善と呼ぶのかもしれないけれど、それでいいかなって思う。
偽善と呼ぶ人は、自分と同じ位置にいる仲間を増やしたいから、
自分よりも先に出る人を良く思わない。
それなら、私がそれを体現してやろうと、今は思っています。

人は人、私は私。

それは別に他人だから関係ないということではなくて、
個性や思考は人によってみんな違うということを理解して、
相手を尊重しようという意味です。

だから、色んな意見があってそれでいい。
交われる時に交わって協力し合えばいい。

でも、ごく稀にとても考え方が似ている人に出会えた時には、
とても喜びを感じるので大切にしたいと思う。

そういう小さいけれど、嬉しいと思えることを増やして生きていけたなら、
きっと毎日が穏やかで幸せになれるのじゃないかと思う。

手を差し伸べてくれる人には恩を倍にして返し、
寄り添ってくれる人には更に寄り添って心で交流したい。

上辺だけの言葉はもういらないんです。
心を通わせて、お互いに幸せにいられる人達と一緒に生きていきたい。

それが私の想う平穏の理想なのかなと思います。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
理想とする平穏が貴方にも、見つかりますように。