春の農作業を終えて
今年も春の農作業が誰もケガなく無事に終わりました。
私は収穫時期の忙しい10月に米農家に生まれて、6歳からずっと農作業の手伝いをしてきました。
社会人になってからも、仕事をしながら農作業時期のお休みは必ず実家に戻ります。
普通に考えれば、農家って汚れるし疲れるし肉体労働の極みみたいなものだと思います。
なんでそれを投げ出さなかったかと思うと、家族がみんな私に期待してくれたからだと思います。
農家にとって働き手はとても重要で、子供はゆくゆく家を継ぐ可能性を秘めています。
育て方で後継者ができるかできないかも決まります。
家は家族経営の農家で、祖父母も両親も私達が自然に手伝って覚えられる環境を作ってくれました。
一生懸命頑張ればみんなが喜んでくれる、アルバイトもできるしいいなぁってずっと思っていました。
必然的に将来は家の手伝いができるよう、旦那さんは農家じゃだめだとか考えたりしてました(笑)
そしてできたら、お米をお仕事にして家族がみんな笑って食べて生きていけたらいいなってずっと思っていました。
でも、農家はだんだん米の単価も下がり、農機具が高額になり稼げる仕事ではなくなりました。
それなりに食べていけるお仕事なので、祖父母の年金と長男の農業の収入で贅沢しなければ暮らせるみたいな感じです。
父が今それを形にしてくれて、弟がその土台を引き継ぐことになるでしょう。
そういう年齢になってきているんだなと、最近色々考えます。
私ができるようになった農作業の仕事は、全て祖父母や両親から教えてもらったもので私の宝物です。
1つの仕事を教えられてからちゃんとできるようになるまで、3~5年。
小学校の頃はもっと物覚えが悪く、力もなくて稲を持ったまま田んぼの中に落ちたり転んだりしていました。
泥まみれになっても、家族は頑張ってる証拠だと言ってみんな怒ったりはしませんでした。
毎年毎年聞いて、自分の体に覚えさせる作業。
でも、大変だとは思ってもやりたくないとは思いませんでした。
家族みんなが負荷は違えど大変だと思っていたからです。
あまり怒られた事がなかったので、社会人になってからこんなに怒る人がいるんだって、
びっくりして委縮するくらいには叱られた事がないことに気づきました。
子供なりに一生懸命やろうとする気持ち、覚えようと何度も聞いてチャレンジする気持ちを大切にしてもらってきました。
元々あまり人と話すのも得意でなく、祖父母にも緊張するくらいだった私を人と話せるようにしてくれたのは、
多分、10時と15時のおやつの時間の冗談交じりの楽しい会話だったろうと思います。
普段は色々ある家族が農作業ではひとつにまとまって頑張る姿は私にとってとても幸せな時間です。
人間なので憤ることもあるし、すれ違う事もあるけれど、
農作業は人の動きを見ながら次の作業を予測して対応していく力がつくものだと思っています。
よく、農家というと馬鹿にされた事もあるけれど、私にとっては学びの場であり社交の場で可能性は無限だと思っています。
それはこれからも変わらないものであるだろうし、あって欲しいなと思う。
弟の代になったらまた形がかわると思うけれど、
手伝いに行くと、蒼、よく来たなって言って満面の笑みで父が喜んでくれるから、
母が蒼がいてくれて助かるって言葉をいつもくれるから、
これからもずっと私は農作業の手伝いを続けていくんだろうなって、そう思うのです。